Feb 17, 2012

Gumroadを使って「かたたたき券」を売ってみた。

決済の手段が簡略化されることによって、もともとある程度のまとまりが無ければ取引できなかったものが、売りやすくなる。とすれば、最もそうなって欲しい物のひとつは「雇用」ではないかと思いました。

 
仕事を頼んだり頼まれたりすることは、ともに手続きが複雑で、それゆえに世の中には「ちょっとしたことなら十分に働けるのに、何も仕事のない無職者」であるとか「サービスでするタダ働き」や「安すぎる工賃で働く障害者施設」のようなもの、逆に「雑務で疲弊して本来の目的を十分果たせない労働者」や「提携先がみあたらなくて、受注しすぎた業務に右往左往するフリーランス」といったように、労働リソースの非合理的な配分によって起こっている問題に直面している人が、思いのほか沢山存在します。
 
もし、子供がつくる「かたたたき券」くらいにまで細分化され、特に正規雇用や特殊な技能のような「きちんとしたもの」がなくても可能な単純労働となった仕事が、簡素化された決済フォームで取引可能なら、上に挙げたげたようなシチュエーションに置かれている方の苦労がやわらぎ、全体としての労働リソースがより効率的に活用されることになりますよね。
 
そんなことを思いつつ、弊社から「かたたたき券」好評販売中です。:)

(購入用アドレス) https://gumroad.com/l/Mbu

 

Nov 14, 2011

喪中のおしらせ

喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。

去る7月、親族が他界いたしました。
平素のご芳情に深く感謝いたしますとともに、
明年も変わらぬご厚誼のほど、お願い申し上げます。

平成23年11月
岩下倫太郎アトリヱ


本日、今年年賀状を頂いた方にご案内の葉書を投函しましたが,今年年賀状を頂かなかった方や、今年初めて知り合った方にも,ご了承いただければと存じます。何卒宜しくお願いします。

Feb 27, 2011

「精神を病む才能」を産み出す風土に生きるということ

SSTの実演を無事終えたところで,予定されていた内容がひととおり終了となりました.ここからは,質疑と感想の時間となっていくのですが,予定時間を過ぎてしまっているため,少し慌ただしく進みます.

質疑では,会場から「どうしたら,前向きに悩みを打ち明けることができるようになるのか」という,SSTを改めてふりかえる質問がありました.壇上の当事者さんたちからは「自分にとって大切なものを得る経験をして,自分の世界をもつこと」「臨床心理士や当事者の仲間たちに『弱さの情報公開』をし続けること」「怒りとなって爆発する前に,『マイナスのお客さん』に対応すること」などによって,前向きなコミュニケーションが取れるようになっていった経験が語られました.

つづいて,会場の参加者のみなさんから感想が伝えられました.「べてる」について,禁忌の視点で扱われがちな「精神障害」というものに対してとてもオープンな姿勢で活動を展開していることや,日常の中に「いつでもどこでも」当事者研究の実践が取り入れられていることなどが,とても高く評価されました.

こうして,盛況のうちに,イベントは無事終了となりました.物販のコーナーでは,壇上で発表を行った吉田さんが,それぞれの商品についてとても詳しく説明してくださり,私は,当日来れなかったひとへのお土産に日高昆布を,それと,「べてる」について書かれた本を二冊,買って帰りました.

清水さん:栃木出身者の<系譜>
この日,急遽壇上にのぼることとなった当事者さんたちの活躍によって,向谷地さんの仰っていた「才能」とはどのようなものかが,次々に明らかにされていったわけですが,実はひと足先に,浦河で活躍していた栃木出身の当事者さんがいます.「すごいスターが来たぞ」と川村さんが語ったほど,その到来が「べてる」にとってひとつの事件となったという,その人は,清水里香さん.栃木で何年も引きこもりの生活をしていて,さらに引きこもろうとして浦河で暮らすようになったという清水さんが「べてる」での生活の中でその素晴らしい素質を開花させていった様子は,向谷地さんとの対談「安心して絶望できる人生(http://bethel-net.jp/noho7.html)」に詳しいエピソードとともに紹介されています.こういった<系譜>の存在が,「べてる」で栃木が特筆されるという評価の元になっているわけです.

「精神を病む才能」を産み出す風土
こういった「才能」を産む栃木という風土には,どのような特質があるのかを考えていくと,ひとつ思い当たることは「『ひとりの時間』や『じぶんの世界観』を大切にしたい」という感覚であるかもしれません.内面へ向かって思考が豊かに広がっていくにつれ,逆に他者とコミュニケーションを取る機会が少なくなって,そのことにより誤解やすれ違いが生まれやすく,鬱積した「マイナスのお客さん」がいつしか,こころの傷を生むできごとを引き起こしてしまう…,そのような流れがあるように思います.実際,一般に義理人情に厚く近所付き合いが多いといわれている「田舎気質」が色濃く残る地域に,栃木もまた相当するはずなのですが,都市化の度合いとは特に関係なく,個々の世帯はそれぞれ独立した生活を送っていて,相互的なコミュニケーションは案外希薄であるように感じます.田舎に暮らしていれば,ご近所で大抵ひとりふたりは出会うであろう,こちらの都合と関係なく積極的に対話を仕掛けてくる「世話焼き」タイプの朗らかなおじさんおばさんには,ここ栃木ではなかなか出会うことがありません.社会的な義務感にのっとった地域恊働についても,お互いの生活に大きく干渉する結果になるものは必要最低限しか取り組まれず,そのため,地域の現状へ不満を述べて変革していこうという声が拡大することが,あまり起こりません.こういった「控えめ」な性質は特に移住してきた方には大きなストレスとなる場合が多く,まちづくりなどの社会事業になかなか協力が得られないことが続くと,栃木のひとは<閉鎖的>というある種の思考停止語に行き当たって,それっきり挫折してしまう場合が少なくありません.

このような風土の中で暮らしていく際に「べてる」の実践が,地域での日々のコミュニケーションの深め方に特に示唆を与えてくれそうな点をひとつ挙げるとすれば,適切な「間合い」をとって相手が自分から働こうとする力を引き出す,ということではないかと思います.向谷地さんや川村さんの役割が,当事者さんたちの回復にとってごく間接的で必要最低限なものに留まっているようなあり方に似た手続きによれば,軋轢や対立をいたずらに生むことなく<つながりの深化>を作り出すことが,少しずつできるようになるのではないかと感じます.

同じ人間どうし
ふだんの仕事や生活の中で実践してみたいこともいろいろあります.ひとつめは,あらゆるものごとに前向きな意味合いを見いだそうとしてみること.「マイナスのお客さん」の声で,自分の思考が支配されてしまう前に,何でもよいから,そこにあるものに,自分らしい前向きな意味合いを定義してしまう,というものです.ふたつめは,問題や苦悩に呑まれてしまわないように,それを<外部化>してみること.難しければ,せめて<問題に呑まれてしまっている自分>を外部化すること.そのことで,何はともあれ問題を許容することはできるようになりそうです.みっつめは,誤解や摩擦を恐れずに,常識や規範を疑ってみること.問題の構造が硬直化することによって生まれる閉塞感を打破するために,自分や社会が「こうあって当然」とか「こうあるべき」とか思うものについて頑なになってしまうことを,勇気を持って一度離れてみること.これらの手法は,自分もやはり無縁ではいられない,身の回りの様々な問題に対応する上で,有効に働くのではないかと考えます.

壇上の向谷地さんが最後に語られたのは「同じ人間どうしがつながっている,という実感を取り戻す」という言葉でした.当事者研究の深化につれて,今回のイベントで語られたような「才能」が発露し活躍する場が増え,<障害当事者>と<健常者>の関係は,時に予想もしなかったかたちで逆転していきます.その繰り返しによって,一般には厳然たる区別があると思われている<被支援者>と<支援者>の区別が無化していくという現象が生まれます.結局はみんな,悩みも弱さも持った「同じ人間どうし」であるという根本へ向かって,表層的な技法の洗練を捨てて<降りてゆく>こと,その先であれば「どうにもならない」と思って切り捨てようとしていたことが,何らかの形で「どうにかなる」光景を見ることが,できるのかもしれません.

[冒頭へもどる]「べてるの家」in栃木 × わたしの当事者研究ごっこ

Feb 27, 2011

SST 〜 社会性を育むトレーニング

女の子の研究発表が無事終わったところで,一旦10分ほどの休憩時間となりました.ひきつづいて後半へとイベントは移り——といっても,ここまでが予想以上に盛り上がったため,すでに予定されていた時間の2/3ほどが過ぎていたのですが——ここからようやく,式次第に沿った内容へと展開していきます.

「当事者研究」で行われているような,当事者さん自身が周囲の状況について考えながら,より暮らしやすくする知恵を積み重ねていくプロセスは,これから壇上のみなさんたちによって行われるSST(Social Skills Training=社会生活技能訓練)のメソッドの応用として発展してきたという経緯があります.「社会生活技能訓練」と8文字も漢字が並ぶと,どうにも堅苦しい感じがするかもしれませんが,中身自体はごくシンプルなもので,日常的な場面が設定された<ロールプレイ>を行いながら,行動とコミュニケーションについて考えていく,というものです.式次第には「※テーマは直前まで決まりません。お楽しみください。」とありますが,テーマをあらかじめ設定しないという方法には,<お楽しみ>を取っておけるというだけでなく,その場での<とっさの判断>を観察できるという利点もまた考えられます.

幻聴さんの圧迫感を回避する
最初のロールプレイでは「幻聴さんの圧迫感をうまく回避すること」がテーマとなりました.場面として<新宿駅の雑踏>が設定されます.実は,講演会の壇上という場所は,多くの来場者の視線が一点に集まるため,「幻聴さん」や被害妄想に悩む当事者さんにとっては,新宿駅の雑踏に匹敵する,またはそれを上回るストレスがのしかかってくる所であることが,当事者さんの少しそわそわした様子から感じられました.それでもだんだんと,べてるの当事者さんたちと共にひとつのチームができあがってきて,ロールプレイがいよいよ動きはじめます.

「幻聴さんの圧迫感」をうまく回避するために一体どうするか.べてるの当事者さんたちから,<森式・前向き観察法>という手法が紹介されました.それは,「周囲の情報に受身にならず,自ら前向きな意味あいを見いだしていく」という考え方に則ったもので,その場で自分から,関心を持てそうなものを積極的に発見していく,という行動を積み重ねていきます.例えば,面白い看板のこと,変わった様子のひとのこと,お天気のこと.自分が心地よい気持ちになれる意味合いがあるものなら何でも採りあげていきます.地元の当事者さんもこの手法に沿って,よりいい気分で行動ができるようになっていきました.さらに「それでも落ち着かない場合」についても議論がなされます.そこでは気持ちを軽く保つために「電柱にとまっているスズメの数をかぞえてみる」「何かに向かって,とくになんでもない事を話しかけるふうを想像してみる」というような形で,意識が幻聴さんの存在に過度に集中しすぎることを防ぐ工夫が提案されました.

悩みを仲間に打ち明ける
次のロールプレイは,「自分の悩みを上手く仲間に打ち明けること」がテーマです.舞台は定食屋さん.当事者さんどうしが一対一で対話するかたちで,片方が<話し手=打ち明ける役>,もう片方が<聴き手>になります.話し手の当事者さん(さきほど当事者研究を発表した地元の女の子)からは「最近幻聴さんに悩まされてどうしようもなくなってしまう時があるのだけど,どうしたらいいだろう?」という悩みが打ち明けられました.それに対して,聴き手の当事者さんは最初はうまく応えられずにいました.向谷地さんが側についてこっそりと耳打ちしてくれて「そういうときは,何も考えないで空を眺めたりすると良いよ」と応えることができました.

ロールプレイに対する評価は「よかったところ」と「よりよくするには」という二段階で行われます.今回は「悩みを聴くときの姿勢がよかった」「悩みの打ち明け方が丁寧だった」といった点が,壇上の当事者さんたちから高く評価されました.よりよくするための方策としては「悩みの状況をより具体的に示してはどうか」とか「当事者研究についてあらかじめ話してみてはどうか」「悩み以外にも自分の関心のある話題を振ってみてはどうか」といったアイデアが提示されました.それらの意見を採りこんで,あらためてロールプレイが行われ,より解りやすい会話と,聴き手の返答とにつながっていきました.話し手の女の子からは,雑談として「70年代のロック音楽が好き」というとてもおしゃれさんらしい話題も飛び出しました.そういえば,わが地元の有名鳥(http://twitter.com/segupie_oyama)もお好きだという話題がありましたね.女の子との会話が聴いてみたい気持ちになりました.

[5]「精神を病む才能」を産み出す風土に生きるということ

Feb 27, 2011

幻聴さんEducation 〜 栃木発の当事者研究

逸材
幻聴さんが集う街「幻聴タウン」——そこには,幻聴さんたちの生活を陰で取り仕切る「管理人」の夫婦がいる.彼らが経営している幻聴スナック「街明かり」では,ひそかに,悪質な幻聴さんを立ち退かせるための賄賂のやりとりが行われている——こういった幻聴世界の事象を,ことこまかに伝えてくれる地元の小柄な女の子.今回のイベントで事実上のメインパーソナリティとなったのは彼女でした.豊かな想像力によって導きだされるそれらの物語世界は思わず聴き入ってしまうほど鮮烈なもので「症状を持たないゆえにその世界に想像力が及ばない私たちのほうが,むしろ肩身が狭い思いをする」と向谷地さんからも賞賛を受け,栃木に実際に<幻聴スナック>を再現してみたい,というとても楽しみな提案までなされました.

この「自分のなかに『管理人さん』がいる」という女の子は,横浜で向谷地さん達と知り合い,そこで浦河流に言えば「才能を見いだされ」たといいます.地元栃木では,たいへん良い精神科医に看てもらっているけれど,処方される薬の量が増えてしまうことが多いということで,向谷地さんと,医師に薬を減らしてもらうための作戦会議をしたそうです.実行する事になったのは「具合の良いところを沢山伝える」ということ.その結果,なんと薬の量は以前の1/3にまで減ることに.「具合の悪いところをたくさん伝えられてしまう自分の治療は,うまくいっていない」と,やはり医師にもマイナスの自動思考,すなわち「お客さん」がやってきてしまうことがあり,それが薬の量が増えていく原因になる,と向谷地さんは述べます.つまり,その精神科医は,良い医師であるが故に,まったくの善意で処方する薬の量を増やしてしまう,ということなのです.

川村先生:自称「病気を治せない医者」
向谷地さんと恊働で,精神科医としてこういった独特の回復プロセスを「べてる」で実践しつづけ,その理念を築いているのは,浦河赤十字病院の川村敏明(かわむら としあき)さんという方です.川村さんは「他人にそう言われるのは辛い」と前置きをしつつも,自称「病気を治せない医者」として,当事者さんの回復に取り組んでいるといいます.当事者さんと精神科医との間での,精神障害の治療を巡る構造的な問題点については,向谷地さんとの対談(http://bethel-net.jp/tokushu01.html)で詳しく議論されていますが,従来的な視点のみでは解決できないでいる,またはかえって事態の悪化が繰り返されているような問題に対してどのような手段で取り組むべきか,長年真剣に考えた結果として,診察室で「ごめんね、治せなくて」という話ができるようになった,といいます.精神科医が患者を積極的に治療しない,という特殊なスタンスを獲得した「べてる式」の回復プロセスでは,活動の主体は,ほかでもない当事者本人となります.その実践の中で中心的な手法となっているのが「当事者研究」というものです.自分の病気についてもっとも詳細に知っている「自分の専門家」として,自身で考え,仲間ともに知恵を共有する,その研究実践のひとつひとつが,回復への重要なステップとなっていくのです.

容姿を侮辱する<噂話>が聴こえる
女の子の分析では,幻聴さんがあらわれやすいのは「他人と何気なくお互いを観察できる場所」.バスの中や,美容室,混雑するショッピングモールなどが具体的な例として挙げられ,浦河の亀井さんや吉田さんからも,そういった場所には同じく苦手意識があるという共感の声を得ていきます.女の子の経験によれば,苦手意識でたまらなくなって「幻聴のボリュームが大きくなる」という,そんな空間にいるとき,彼女のもとへやってくる「幻聴さん」は,主に「容姿否定系」に分類されるもの,つまり,彼女のような年頃の子であれば誰でもこころが傷つけられるような,容姿へのコンプレックスを逆撫でする噂話をヒソヒソとする,とても意地悪なものだといいます.

比較による<相対的な美しさ>を得るために,自分以外のものに醜さのレッテルを貼っていくという後ろ向きな行為を繰り返していると,それによって得られる刹那的な全能感と引き替えに,その場の空気には構造的な緊張が鬱積していきます.ハイファッションを操る上流社会にだけは,そういった背徳的な緊張感を特殊な快楽として享受できる,ある意味で悪魔的な才能を持ったエリートの存在,という極めて限られた例外がありますが,日々醸し出される緊張感に逆に操られて,自分の手元にある頼りない<理想のイメージ>に釣り合わないものに否定の矛先を突きつけていくような,別に創造的でも何でもないプロセスから本質的な美しさに到達することは,結局誰にも不可能なように感じます.優秀なフォトグラファーによって撮影された奇麗な「はず」のモデルの写真でも,大抵の場合,商品として納入されるイメージが撮影されたそのままで完成しているということはありません(http://www.cristiangirotto.com/#/retouch/fashion/67/ :写真をクリックすると修正前の画像を見ることができます.)し,そのため,他者と比較してより美しいからなれるはずのモデルという職業に就いたひとたちでさえ,というよりもプロであるがゆえに何倍もの辛辣な言われようで,常に美しさを否定され続けているわけです.こういった緊張感の伝播はやがて,ファッションの世界で目立った成果を挙げているとはお世辞にも言い難いアジアの小国日本の,文化的民度の著しく低い片田舎栃木県の,これといった特長のない小さな美容室にも,何らかの形で及ぶことは,容易に想像がつきます.美容師たちも,日々その凡庸なクリエイティビティを消耗しつづけている惨めさ——当然,こういう言い方は全部,結局のところ後ろ向きな妄想でしかないのですが——を「マイナスのお客さん」に囁かれているのかもしれません.バスで居合わせたりショッピングモール(マイナスのお客さん談:都市圏から発信される毒にも薬にもならない大衆文化を安易にコピーするだけのこの存在自体がそもそも非常に醜悪なわけですが)で擦れ違った若い女性たちも,やはり同じような苦悩を抱えていることが考えられます.

こういった場の空気の緊張を,非常にシリアスに受信してしまう感度の高いこころを持つせいで,この女の子は人一倍メンタルな傷を受けやすい状態で生きなくてはならなくなったわけですが,彼女はそのような難しい状況に直面したとき,どのような対応法を用いているのでしょうか.つづいて,その方法が明らかにされていきます.

「幻聴タウン」でどう暮らすか
女の子からは,まずバスの中での場合について「自分が噂話を気にしていないということを示すため,幻聴がするほうに向かってニヤッと笑ってあげる」という方法が伝えられました.それについて,向谷地さんから「脳科学的な観点からみても効果が期待できる」という高い評価を受けました.美容室での場合は,「幻聴さんのイメージ画像を思い浮かべ『あなたはこんな髪型や服装が似合うよ』と薦めてあげる」という変わった方法が実践されているそうです.「美容室幻聴さん」についてのこういった独創的なアイデアの根底には,おしゃれをしたいという願望を「幻聴さん」も持っているということ,それに応えてあげることが大切であるという認識があるといいます.女の子のアドバイスを受けて欲求を満たした「幻聴さん」は,それっきりやってこなくなることもある,というほどで,この対応法によって彼女から,非常に強力な回復力が引き出されつつあることを物語っています.

「まずはじめに,薬を飲もうという意識にはならないのですか?」壇上に上がっていた地元の当事者さんから,興味深い質問がなされました.女の子は「できるだけ薬には頼らないで済ませたい」と回答します.向谷地さんからは「事後的に服薬で対処していると,いつの間にか薬の量が増えすぎてしまうことがある」という事情が伝えられました.

薬の副作用による困難も上手に回避して,堅調に回復への道を進んでいる女の子ですが,それでもときおり<どうにもならないとき>が訪れるといいます.例えば,「幻聴さん」がどのような欲求を持ってやって来ているのか,その気持ちが読みとれないとき.それから,周囲の環境に自分に味方する要素,前向きに解釈できる情報が少ないとき,つまり,浦河の用語を用いれば「アウェイ感」の強いとき.こういった場合についての対応法は「開発中」で,差し当たりは携帯音楽プレーヤーを頼って,寝たふりをしてしまうくらいしか,為す術がないといいます.そこで,壇上の当事者さんたちで,さまざまな対応法を提案することになりました.亀井さんからは,自身が実践しているという「お客さんの『棚上げ』」という方法が紹介されます.それは「お客さん」についての情報を,何はともあれ紙に書き出してみること,そうして内側に抱え込まないような状況を保つことで,気持ちが安定方向へ向かう,ということでした.同様の事例として「Twitterに『お客さん』の来訪を報告しておく」という,新しいツールを積極的に用いた事例も発表されました.そのほかにも「手に,安心することばを書いておく」「ストレッチをして身体をほぐすと,感覚が変わる」「自分から相手を見るようにすると,相手から見られている感じが解消する」というような,実践結果にもとづいた効果の高い方法が,当事者さんたちから次々と提案されました.

ときおり「自分だけが,ここで起きているできごとについての情報を十分把握していないのではないか」という劣等感にさいなまれるひとが現れたりしつつも,壇上の当事者さんたちは,事前に申し合わせのない質問であるにも関わらず,非常に素早く思考を巡らし,的確に回答していきました.その様子は,精神障害という非常に重いテーマについての対話でありながら,感情的に深刻な様子を感じさせない,とても和やかで印象的なものでした.ほぼ完全に当事者さん主導で全ての対話が展開し,向谷地さんは場の流れを大まかに整える,必要最低限のサポートに徹していました.

[4]SST 〜 社会性を育むトレーニング

Feb 27, 2011

栃木は,浦河へつれて帰りたい「才能豊かなひと」がたくさんいる所

健常者でも人間関係悪化の元凶になりやすい「マイナスのお客さん」の影響によって,精神障害のあるひとが抱えるさまざまな問題.それは健常者が想像できる範囲を遥かに超えたものであるにちがいありません.しかし,そのような極めて厳しい状況においてさえ,「べてる」では「それで順調だ」と考えるという独特の理念があります.北海道の過疎地の施設で,こういった型破りな実践を日々展開している向谷地さんが,栃木のイベントではじめて口にした言葉は,やはり大変驚くべきものでした.

「浦河へつれて帰りたい『才能豊かなひと』がたくさんいる所として,栃木はべてるのメンバーの間で有名なんです.」

スポーツや芸術の才能のことではなく,精神障害の当事者として「豊か」な症状を持っているという言い方は,場面を間違えれば,障害当事者の人権を侵害する暴言とも曲解されかねない,とても際どい発言かもしれません.そこまで行かなくても,こういった発言がブラックユーモアのネタとして陰湿に弄ばれることは少なくないと思います.しかし,こういった表現がむしろ率直に喜ばれ,前向きに歓迎される場所として「べてる」は存在します.福祉の世界,とくに精神保健の世界では,健常者としての常識的な思考,模範的な行動と思われていることが,いかに役立たないかを実感させらることが多くあります.そこでは,無数の禁忌によって作り上げられてしまった閉塞感をいかに打開できるかが,常に問われています.

壇上のサプライズ
実際,向谷地さんと浦河の当事者さんふたりがいるだけのはずの壇上では,すこしおかしなことが起こっていました.当日来場していた地元の当事者さんたちの何人かが呼ばれて,講演者と同じように着席しているのです.事前の打ち合わせも何もなく,当日いきなり決められたといいます.手元に配られている式次第にも当然何も記載されていません.予定は,向谷地さんからの活動報告,浦河の当事者さんの研究発表,〜とコンスタントな順序で書かれていますが,どうやらこの通りに進むことは早々に無くなったと考えた方がよさそうな気配です.

会場が静かに動揺しかけているのをよそに,淡々と,向谷地さんによる「べてるの家」の紹介がはじまります.まるで当然のように,ほとんどの予定は割愛され,ほんのふたつの話だけが,ごく手短かに語られました.ひとつは,浦河町全体の過疎化が進み,大企業が次々と潰れていくという悲惨な状況の中で「べてる」だけは拡大がつづいており,100年後には浦河は「べてる町」と呼ばれているのではないか,とさえ噂されるほど,町でもっとも活発な組織となっているという話.もうひとつは,「困った人たちが沢山いることで,とてつもなく面白いものが生まれる」ということが「べてる」の経営の特質であり,今のような世界的な転換期に,重い精神の病気という希有な体験をしたことを,私達はむしろ「宝」だと思っている,という話でした.現在の素晴らしい成果に到達するためにいかに自分たちが努力してきたか,どのような困難をくぐり抜けてきたか,といった苦労話による教唆や,嘆かわしい福祉の現状を見据えて自分たちは何をなすべきなのか,政府には何が求められるのか,といった積極的な提言など,講演会としてもっともらしいメニューは,当事者さんの存在を常に中心にして考える「べてる」の実践にとっては,ほとんど無意味なものなのかもしれません.

「べてる」の亀井さんと吉田さん
浦河からはるばる栃木まで来てくださったふたりの当事者さんについての紹介と,その当事者研究の発表も,予定よりとても簡素なものになりました.「悪いことをしたあなたには障害という天罰が下っている」と主張する幻聴さんと長年つき合っている,という亀井さんは,びっしりと書き込まれてくしゃくしゃになりかけたルーズリーフを手からこぼれそうなほど沢山持って,少しずつ語り始めます.亀井さんが開発した幻聴さんへの対応法は,日々のなかで「ひとに褒めてもらったできごと」があったら,それを必ずメモしておくというもの.褒めてもらった大切な記憶をときどき思い返すことで,だんだんと幻聴さんの性格が良いほうに変わってくる,というたいへん素晴らしい成果が報告されました.実際のところ「マイナスのお客さん」がやってくる原因そのものも,過去に実際に受けたことのある陰口の経験などが蘇ってきて「昔からいつもそうだったから今回もきっと同じだ」と反射的に考えてしまうことにある場合が多いように感じます.ということは逆に,蘇る経験が良いものであれば,妄想も良い方向へ動くことが多くなる,ということなのかもしれません.

亀井さんが独自に生み出したこの対応法は,その名も「ほめほめ幻聴さん性格改造法」といいます.「べてる」では,当事者の病名やその対応法名を当事者自身が考えて決めます.どの名前も世界に一つしかない,ユニークで興味深いネーミングばかりです.

「人混みの中にいると強い圧迫感を感じる」という吉田さんが研究しているのは,ひととのつき合い方.けれど,吉田さんの話しぶりや態度には,ひととのつき合い方が苦手だという印象はほとんど感じられません.向谷地さんからも,吉田さんの古い担任の先生とお会いする機会があったとき,吉田さんの「べてる」での目覚ましい回復ぶりを伝えたところ,その先生はひっくり返るほど驚いていた,というエピソードが紹介されました.謙遜して「いまでもちゃんと泣いてます」という吉田さんですが,今では「べてるの縁の下の力持ち」とまで呼ばれているそうです.

吉田さんからは,「北海道の湘南地方」との呼び声高い浦河町についての紹介と,「べてるの家」の歴史が紹介されました.しかし,こちらも大半は情報として十分に表へ出ているものであるため,遠慮なく省略されていきます.最後にあまり知られていない情報として一つだけ,最近ではべてるの東京サテライトができていて,過疎地の団体による都会でのホームレス支援という逆転の活動が始まっている,といったとても考えさせられる事例が紹介されました.

地元の当事者さんの「才能」
こうして,式次第によれば亀井さんと吉田さんにそれぞれ20分割り当てられていたはずの発表時間は大幅に短縮され,壇上にあがった地元の当事者さんたちが自らを語る場を作るために,代わりに用いられていきます.

不思議なことに,といいましょうか,事情を把握できていないだけなのかもわからないのですが,会場には大変手の込んだ仮装をした当事者さんが沢山いました.先日話題になったタイガーマスクの格好をしたひと,アンパンマンの格好をしたひと,派手なピンクの字で「萌え〜」と描いてある白いネクタイをしたひと…,まるでこれから学園祭でも開催されるのかというくらい楽しげな感じなのですが,結局私を含むほとんどの来場者さんには彼らが何故仮装をしていたのか,とうとうわからずじまいになったようでした.

しかし,見た目の不思議さ加減とは関係なく,普段着の当事者さんもじつに様々な経歴をお持ちであることが,壇上のみなさんの自己紹介によって明らかになっていきます.ある方は唐突に桜塚やっくんのモノマネをはじめ,ある方は自分は岩崎弥太郎一族の令嬢であると名乗り,ある方はマンションの11階から飛び降り自殺を試みて生き延びたエピソードを披露しました.それらの話を聞きながら向谷地さんは落ち着いたようすで「浦河にも9階というひとはいましたが11階は新記録ですね.」と独特なユーモアを折り混ぜながら軽やかにフォローしていきました.

[3]幻聴さんEducation 〜 栃木発の当事者研究

Feb 27, 2011

「マイナスのお客さん」ってだれ?

この記事は専門家へ向けたものではないので,専門用語についてご存じない方が読むことを想定して,また,なるべく自分に身近なものとして病気について理解していただくためにも,先に少し中心的な概念について解説してみます.「幻覚・幻聴をともなう重度の精神障害」というと,自分とは全く無縁の世界に感じられるかもしれないですが,健常者(障害当事者でないひと)どうしでも,ちょっと感受性の強いひとであれば,日常的なコミュニケーションの中に統合失調症の症状に類似した「マイナスの自動思考」というものが当たり前に現れうるということを,ほとんどの方がご存知のはずです.ちょっと具体的な例にそって考えてみます. 以下は「わたしがべてるのイベントへ行く」という話を知ったふたりのひとと,イベント当日にわたしが交わしたコミュニケーションです.

例えば…
ひとりの男性からは,ご自身もイベントに参加したいという旨をお聞きしたので,彼のために,わたしが代わって予約の連絡を入れました.にもかかわらず,彼から当日急にキャンセルの連絡が入ります.話を聴くと「風邪みたいで出かけられない,楽しみにしていたのに残念だ.」ということでした.ほぼタイミングを同じくして,ひとりの女性からも「わたしは満員で申し込めなかった.是非感想を聴かせてほしい.」という連絡をもらいます.わたしはふたりにそれぞれ「それは残念です.当日の様子をお知らせします.」と伝えます.

ここで,ふつうであれば「ふたりはわたしが楽しみにしていたイベントに同じく関心を持ってくれていて,参加できなかったことをとても残念に思ってくれて,とても良い人だなぁ.」ということになるのですが「マイナスの自動思考」が働くと,ここで全く逆の妄想が湧いてきてしまいます.例えば,

「満員で申し込めなかったひともいるのに『風邪みたい』だとか何をふざけたことを言っているのだろう…彼に適当に振り回されて,哀れな気分だ…本当は,『最先端の事例に常に接してる自分からしてみれば,今日び,べてるなんて物をありがたがる連中は甚だ時代遅れだ』と言って愚弄したいのに違いない…彼との関係も終わったな…どんな催しがあっても,もう二度と誘わないな…それに彼女も本当は,行かずに済んでほっとしているに決まってる…こんなくだらない催しに参加する気は最初からなかったのに,わざわざ多忙な自分をこれでもかとアピールして,暇人なわたし達を嘲笑うつもりなのだ…それに……」

…というような不穏な声が,どこからかふつふつと湧き出してきて,頭の上でぐるぐると渦巻いているような感じがします.その声を聴いているうちに,「どうしてこのひとたちは『わたしのことをいかにも気遣っている風』を装って,わたしがこんなにも純粋に楽しみにしている気持ちを,ぐちゃぐちゃに踏みにじるのだろう…」と気が滅入ってしまうわけです.

不穏な「声の主」
不穏な「声の主」は状況証拠を勝手に解釈し「わたしを気遣って話しかけてくれた良いひと」でさえ,まるで「わたしを間接的に侮辱する意地悪なひと」であるかのように変えてしまう,このような悪意の思考プロセスを,ここでは「マイナスの自動思考」と呼び,どこからともなくやってきてわたしの思考を乗っ取ろうとする,この「声の主」のことを「マイナスのお客さん」と呼んでいるのです. こういった「お客さん」に煽動されてしまうと,暴力的な衝動に対する抑制が利かなくなって,実際の悪い行動が表に出てしまうことが増えます.それを「建前に隠された本音が現れた」と周囲に解釈されてしまえば,もうそれですっかり不幸な状況が確定してしまうわけです.こういったコミュニケーションの失敗をくりかえしていると,社会からの疎外感が鬱積し,生きる意欲が失せていきます.

「幻聴さん」「サトラレさん」などといった類似の用語によっても同様に,こういった外部性のある思考や感情に対して仮想的なパーソナリティが定義されています.「さん付け」してはっきり外部化することは,それに振り回されないようにするためのひとつの処法でもあるのです.また「さん」というのはあくまで敬称です.つまり,それらの外部化したパーソナリティを「退治しよう」とか「消去しよう」とかいうのではなく「何とかうまくつき合っていこう」という態度で臨んでいることも,大切な点と考えられます.

[2]栃木は,浦河へつれて帰りたい「才能豊かなひと」がたくさんいる所

Feb 27, 2011

「べてるの家」in栃木 × わたしの当事者研究ごっこ

( イラスト:「 レッツ! 当事者研究1 」べてるしあわせ研究所 著 )

2011年2月19日,精神保健福祉の分野で近年顕著な成果を挙げている著名なソーシャルワーカーのひとりである向谷地生良(むかいやち いくよし)さんが,その活動拠点である北海道浦河町(うらかわちょう)の施設「べてるの家」の精神障害当事者さんたちとともに,栃木市の大平町(おおひらまち)にて講演を行われました.

イベント概要:主宰の「NPO法人海がめ」さんのブログ
http://cc9.easymyweb.jp/member/home-office/default.asp?c_id=64932

「べてる」の活動は,わたしが福祉について学ぶようになってからもっとも影響を受けたもののひとつだったので,向谷地さんと当事者さんとのコミュニケーションを目の前で直に学ぶことができたこのイベントは,わたしにとって,とても貴重な体験となりました.当日会場へ来られなかった何人かの方から「レポート期待しています」というお言葉を頂いていたので,イベントの様子を私見を交えつつまとめてみます.予備知識のないひとに読まれることを前提に,折々解説も試みていきます.

〜目次〜

[1]「マイナスのお客さん」ってだれ?

[2]栃木は,浦河へつれて帰りたい「才能豊かなひと」がたくさんいる所

[3]幻聴さんEducation 〜 栃木発の当事者研究

[4]SST 〜 社会性を育むトレーニング

[5]「精神を病む才能」を産み出す風土に生きるということ

About
岩下倫太郎(いわした りんたろう)

絵画、映像、音楽、文学など、多様な芸術表現を独学し、大学中退後より様々な制作プロジェクトに関わる。デザイン会社を退職後、商業制作の一線から退き、地域福祉/文化振興への賛助活動に取り組む傍ら、総合的な個人作品の制作を長年続けている。

岩下倫太郎アトリヱ |  Subscribe via RSS.